ボタニカルアートとゴッホやモネの描く花の絵との違いってなんだろう。

ボタニカルアートとゴッホやモネの描く花の絵との違いってなんだろう。

ボタニカルアートとは?

ボタニカルアートって聞いたことありますか?お花好きな方ならご存知でしょう。ボタニカルアートは、「花の肖像画」です。何世紀も前に確立され、それが現代にも継承されています。

ピエールルドゥーテ作 オールドローズ

筆者もビックリしたのですが、「ボタニカルアート教室」と検索してみると、これが驚くほどたくさん出てきますよ。

また、写真でも花を専門に撮影している人も多いですし、ようく思い出して下さい。お花見の季節、みんな桜の花をスマホで撮影していますよね。

いつの時代も花を含めた植物というものは、美の対象となっているわけです。しかしながら、花は最初から絵の主役だったわけではありません。

 

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花は昔からずっと絵の主役だったのか?

皆さんは、花の絵っていうと皆さんはどんな絵を思い浮かべますか?

アートファンならゴッホ の《ひまわり》が多いでしょうか。アートファン以外の人なら好きな花、バラやチューリップなどの絵を思い浮かべるでしょう。

ゴッホ 作《ひまわり》

ゴッホ《ひまわり》

ゴッホの《ひまわり》は、ゴッホ自身が心情を投映した作品と言われています。静物画で描きかたの訓練や色の組み合わせを確認していたゴッホのひとつの到達点です。

でも、この絵はボタニカルアートとは違います。

花は、昔から絵画のなかに登場していました。それは古代ギリシアにさかのぼります。その頃の植物画は、薬草として使う植物を判別するための絵であって、とても細かく描かれていたようです。

当然、薬草を探すとなると他の種類の植物との区別を付けないといけないため、特徴をしっかりと描きこんでいたんですね。

そうなんです。ボタニカルアートの定義と言っては大げさかもしれませんが、源流をたどっていくと、薬草や食用の植物を判別するために描いたものとなります。

その意味でいくとゴッホの《ひまわり》やモネの《睡蓮》はボタニカルアートとは区別するべきものとなるわけです。

では、冒頭のバラの画像はなんで?となるでしょう。薬草でもないですしね。それをここから少しばかりご説明するとしましょう。

古代ギリシアで始まった薬草や食用の植物画は、とても細かく他の種類と区別しやすいように描かれていました。

しかし、時は流れ、古代ローマが滅亡し、中世の時代(諸説ありますが4世紀頃から15世紀ごろまでの1000年ほど)になると薬草として植物を細かく描くことは廃れてしまいました。

《楽園の小さな庭》

楽園の小さな庭》(1410年ごろ)

この頃の花は、この作品のように主題ではなくて背景に描きこまれることが多く、引き立て役でありました。これはこれで楽しそうで、生き生きとしています。花が文様のようですよね。

この絵のほかにも画面の隅々まで花を描きこみ、花のデザインのように作りあげている作品もこの頃に広まります。

花が絵の主役となったのは、皆さんよくご存じのルネサンスが影響しています。古典に回帰するという考え方です。

西暦1500年に地球は滅亡するという予言が広まり、人々は恐怖に包まれました。しかし、当然ながらそのようなことは起きず人びとは胸をなでおろしました。

この直後、アルブテヒト・デューラーという美術史ではかなり有名なドイツの画家は《芝草》(1503年)を描いています。筆者はとても好きな画家です。

アルブレヒト・デューラー作《芝草》 

予言が外れ何事もなかった世界に安心し、自分たちの周りにある自然に目を向けてこの絵を描いたといわれています。

この作品は、のちのボタニカルアートに強い影響を与えました。

植物画(ボタニカルアート)のスタートは、古代ギリシアで薬草を判別するために精細に描かれていた訳ですが、それが16世紀以降は、あらゆる植物へ興味が向き始めていきます。

海の航路が増えるに従いヨーロッパ(フランスやイギリス、オランダ)へ入って来る植物の種類もどんどん増えていきます。庭造りも盛んになります。

そこで枯れる前に、「押し花」にすることや「花を絵に写し取ること」で植物園のコレクションとなり、研究が深まっていきます。植物学の誕生です。

描かれる花の絵は、標本と同じく、正確に細かく、そして美しさも備えた絵画となっていきました。

これこそが冒頭のバラの画像のことでボタニカルアート「花の肖像画」です。

世界中の植物の収集により植物学という科学と芸術が結び付く。ボタニカルアートが現代にも続いている理由といえます。

 

花の絵の得意な画家は?

いろんな花に注目が集まり静物画として花の絵が確立されていくと、当然花の絵画が得意な人物も現れます。ヤン・ブリューゲルがその代表格です。

ヤンは、16世紀後半から17世紀にかけてフランドル地方(ベルギー西部からオランダ南西部、フランス北東部にかけての地域。)で活躍した画家。

お父さんは美術史では北方ルネサンスの巨匠として語られるピーテル・ブリューゲル。《バベルの塔》や《雪中の狩人》を描いた人物でヤンは次男にあたります。ちなみにお兄さんも画家という芸術一家でした。

ヤンは静物画が得意で、特に花の絵を好んで描き「花のブリューゲル」と呼ばれていました。花瓶に沢山の花をいけた作品が残っています。

ヤンブリューゲル作《花》

ヤン・ブリューゲル《花》(1606年)

 何種類あるのか分からないくらいの花束ですよね。ありとあらゆる花を集めた花束の絵。右上の赤い花が目立ちますが、所々に白い花を描き、重厚感のある花瓶で支えることで均衡を保っていると感じます。

色とりどりの色彩と構成の巧みさが後の世に「花のブリューゲル」として名を残した理由なのかと感じます。

とても華やかな花束の絵は17、18世紀に大変流行しますが、一本の花の絵を描くボタニカルアートが広がり、花束画は衰退していきます。

そのボタニカルアートの世界で金字塔を打ち立てたといわれているのがピエール・ルドゥーテ。

 ピエール・ルドゥーテ

 

ピエール・ルドゥーテ1759年ベルギー生まれの画家です。亡くなったのは1840年、モネが生まれた年に亡くなっています。

18世紀から19世紀に活躍した人物。この人、こちらの素描だとちょっと真面目そうで、すこし気の弱そうな印象で激動の時代をよく生き抜いたなと感じる方も多いかもしれません。

しかし、このルドゥーテ、なんとフランスのルイ16世の王妃マリー・アントワネット、そしてフランス革命後のナポレオン王妃ジョセフィーヌに、とっても大事された人物だったのです。それも花の画家として。

それだけでもいかに花を描く技術が優れていたかを物語る材料の一つでしょう。このブログの冒頭のバラ画像もルドゥーテの作品。

いかがですか?今回はこの辺りで終えておきます。つづく。

花の絵画って思った以上に深い歴史と広がりのある世界だと思いませんか?

かさたびには花のデザインの傘もたくさん揃っています。素敵な花のデザインの傘と一緒なら、いつでも気分も楽しくなるのでないでしょうか

(参考図書)

・海野弘 解説監修 「ヨーロッパの図象花と美術と物語」株式会社パイインターナショナル

・大葉秀明 著「図説ボタニカルアート」河出書房新社

美術検定1級アートナビゲーター所持スタッフより

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