ボタニカルアートやウィリアム・モリスのデザインなど花の絵の世界を覗き見しましょ。その2。

ボタニカルアートやウィリアム・モリスのデザインなど花の絵の世界を覗き見しましょ。その2。

ボタニカールアートの巨匠をもう一度ご紹介。

ボタニカルアートのお話のその2になります。

その1の最後で紹介したのがピエール・ルドゥーテ。ボタニカルアートの人気画家とでもいいいましょうか。巨匠ですね。

ピエール・ジェセフ・ルドゥーテ肖像画

1759年ベルギー生まれの画家で1840年に亡くなりました。主にフランスでユリやバラの作品で人気を博し、ボタニカルアートの金字塔を打ち立てたとも言われています。

ここで再度、ボタニカルアート(植物画)のことに触れておくと、元は、古代ギリシア時代に遡ります。

この頃から植物は薬草や食用として重宝されていました。ですから、それを採集するためにより正確に、植物の絵を残しておくことが重要だったのです。

それは、中世(4世紀頃〜15世紀の1000年間)の時代に入ると廃れますが、15世紀に入りフランスやイギリス、オランダなどから世界中への海の航路が、開拓され始めると、さまざまな植物への興味が湧き、ありとあらゆる植物への研究が始まり、「植物学」が誕生します。

「生きた植物」と「押し花」、そして「その花を正確に描いた絵」が植物園のコレクションとなり、そこから花の肖像画としてのボタニカルーアートは少しづつ発展していきます。

 特にフランスのルイ15世は、植物にとても興味があり植物学を熱心に学んでいました。(女好きでもありましたが・・・)そのルイ15世の公的な愛人にポンパドール夫人という女性がおりました。

この肖像画の人物です。

ブーシェ作《ポンパドール夫人》

 ブーシェ作《ポンパドール夫人》(1756年)

 貴族ではなく平民でありながら王に愛され、宮廷に入る事となります。この作品では本を持っています。これは、教養・知識を表し、その通りに彼女は文化をとても大切に守り、宮廷の女性が中心となってある様式を確立していきます。

それがロココ様式です。

 

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ロココ様式

 まず、太陽王とよばれたルイ14世を治めた時代は、壮大であり光と影が空間を支配するようなバロック文化が広まりました。それはどちらかというと男性的とも言えるでしょう。

それに対し、ルイ15世、16世が治めたフランスは、ポンパドール夫人やマリー・アントワネットなど女性的で柔らかさを持った文化が花開いた時代です。

ポンパドール夫人もマリー・アントワネットも花が大好き。ポンパドール夫人は真冬でも別荘の花壇を花で覆い尽くし、王妃マリー・アントワネットはバラが大好きなひとでした。

18世紀ごろのフランスは「花の帝国」と呼ばれるほど花の研究に力を注いでいたといいます。

 ヴィジェ・ルブラン作《薔薇をもつマリー・アントワネット》

女性宮廷画家(とっても珍しいこと!)ヴィジェ・ルブラン作《 薔薇を持つマリー・アントワネット》(1783年)

 

先にあげたブーシェ作の《ポンパドール夫人》のドレスに注目すると、ばらの花がたくさん付けられています。およそ100個ほどあるそうです。

おそらく生花だったのではといわれています。(もちろん造花だろうという意見もありますが、この頃の贅沢さを考えるとやはり生花だったのでは無いとか筆者は思います。)

それと目立つのが胸元たくさんのリボン。このような梯子状のリボンの装飾をエシェル(梯子って意味)と呼んだそうです。実はこのリボンの装飾、男性から始まった流行です。

マリー・アントワネットの肖像画にも大きなリボンがついていますよね。そして大好きな薔薇の花。

ロココは、前の時代とは打って変わって、このような線の細さ、仰々しくない華やかさ、曲線の美しさを追求した様式です。ポンパドール夫人やマリー・アントワネットなどの宮廷女性が好んで作り上げていった文化です。

ちなみに、この頃フランスでは、インドの更紗(木綿)が大流行して、一時はあまりの人気ぶりに、フランス国内の繊維産業に影響を及ぼすほどで、インド更紗禁止!にもなったそう。

おしゃれな人も多かったロココ時代。

やや脱線しましたので、話を戻しましょう。

このブログの冒頭でお話ししたルドゥーテは、ボタニカルアートの人気画家ですが専門家に言わせると、他のボタニカルアート作家よりも線の細さが人気の秘密だったのではと言われています。

このルドゥーテは、縁あってマリー・アントワネットに短期間でしたが絵を教える事となりました、なぜ、短い期間だったのか?みなさんよくご存知のフランス革命が起きたためです。

ルドゥーテは、なんとかこの荒波を乗り越えて自然史博物館の職に着くことができ、その後なんとナポレオンの遠征にまで同行することになります。

そこで彼に目をつけたのが、これまた花の大好きな皇妃(ナポレオンは皇帝なので)ジョセフィーヌ。

 

ナポレオン皇妃ジョセフィーヌに認められ

フランス革命後のルドゥーテは、皇妃ジェセフィーヌに認められます。

皇妃の関わる植物園で花の絵を描きまくります。そして、ユリの図鑑やバラの図譜(図譜というのは図が中心で説明を添えた本)を出版、これらの出版物でボタニカルアートの巨匠となったわけです。

さらに、ボタニカルアートを語るうえでもう一つ大事なことがあります。

それは他の花の絵画が額に入れられ飾られるのに対して、ボタニカルアートは原画から印刷されることが前提のアートだということ。

つまり、印刷技術の進歩によって、その美しさも変わってくるということです。

ルドゥーテは多色印刷技術の発展にも貢献しました。(とは言ってもほぼ全部印刷後、手を入れているようですが)。

彼の描いたボタニカルアートは現在でもお手本であり、各地で展覧会が開かれています。

 

 花柄の傘を見る

ルドゥーテ作《オールドローズ》

 ボタニカルアートが広まることで衰退していった花束画。

ヤン・ファン・ハイムス作《花瓶の花》

ルドゥールが亡くなってから花の絵の舞台はフランスからイギリスへ移ります。

そこでは平面化・二次元化された花束のようなデザインを世界に広めていきます。

ウィリアム・モリス作《クレイ》

ウィリアム・モリス《クレイ(テキスタイル)》(1884年)彼のデザインは今に至るまで生活の場に生きています。

 いかがでしたでしょうか?

ボタニカルアートから軽くフランスの歴史文化をなぞってみました。

最後は、イギリスのウィリアム・モリス。今でもこの方の生み出した生地を纏っている人、さらに包装紙としても使われたりもしています。

植物画は本当に奥の深い分野です。ここで書ききれないこともたくさんあります。筆者も植物画への見方が変わりました。朝ドラで植物画に興味を持って人も多いでしょうしね。

かさたびにもたくさん花柄の傘をラインナップしています。興味を持ったらぜひ一度覗いてみてください。

美術検定1級アートナビゲーター所持スタッフより

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