イギリスの画家セドリック・モリスを知ってますか。40年間忘れ去られた現代美術家。
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セドリック・モリスって
この名前を聞いてピンと来た人は相当なアートファンです。なにせずいぶん長い美術界から忘れられていた存在なのですから。
セドリック・モリスは、英国で1889年12月11日に生まれ、1982年2月8日(92歳)に亡くなった画家であり、植物学者、そして画学校の校長先生でもあった人物です。
人生の前半は、パリとロンドンで活動し、1920年代のエコールド・パリと呼ばれる華やかな時代に、マルセル・デュシャンやヘミングウェイなど当時の最先端を走る芸術家、文豪たちと社交をともにしました。
絵を描き始めたのは、この少し前からで30歳を目前にした頃からだと言われています。かなり遅い絵画への目覚めですね。全くの独学です。
セドリック・モリスは、人物画、花や野菜の静物画が多く、作品の特長は、どこか可愛げのある画面でしょう。
絵のモチーフは人や花、そしてキャベツやニンジン、カボチャなど野菜類も興味の対象となっていますからね。
あと、色の組み合わせ。
時には花の色も、実際とは違う色をキャンバスに乗せてみたり、鑑賞していると穏やかな気分になります。色をどう組み合わせていくのか、という面白さも引き出しているところもポイントだと感じます。
特に、花の静物画は華やかです。
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アイリス大好き
彼は、画家としてだけでなく、植物を栽培して、品種についても興味を持っていました。
もともと、都会よりも田舎暮らしを好んでいたモリスは、1930年以降に、ロンドンを離れて画学校の校長先生としての仕事や園芸に、力を注ぐようになりました。
この1930年代から1970年代後半までモリスは、美術界から無視、または距離を置くようになります。
人生の後半、ベントンエンドと呼ばれた16世紀に建てられた古い屋敷をアトリエにし、そこには常時7、8人の学生も暮らし、アートを学ぶ小さなコミュニティを形成していました。この辺は、ゴッホが目指していたアーティスト村を作る構想に近いですね。
その屋敷の庭には、ユリやバラ、スイトピーなどで縁取られる美しい花壇を、野菜が装飾するかのように植えられていたといいます。
当時は、第二次世界大戦の真っ只中。広い庭に植えられた、花の他に、食料としての野菜の必然性も兼ね備えていたのです。そして、それを描く為にも。
モリスの庭は、とても有名でした。それはモリスの庭が、アイリス(あやめ属)の栽培に適していて、昔ながらのアイリスが咲き誇ったから。
それを見るために、専門家や園芸関係者が多く訪れ、モリスは、画家というよりも園芸家、植物学者、植物職人として有名になり、モリスのアイリスは、注目を集め続けました。
モリスの庭は、1976年ごろまで一般公開が続き、庭の手入れも大変でしたが、70年代に入り彼は視力が悪くなってきても、草取りなどの手入れを欠かさず、40年間に渡って庭を守っていました。
一方、絵の方はというと、視力の低下により1974年に描いた友人の肖像画が最後となりました。ちょうどその頃から大都市での展示への機運が高まったのです。
そして1981年、48点の作品が並ぶ展覧会が開催されました。この時セドリック・モリス90歳。久方ぶりに美術界の注目を集めたこの展覧会が、モリスにとって最後の展覧会となりました。
セドリック・モリスは、1930年代後半から現代美術シーンを盛り上げていこうとエネルギーを注いだ人だったそうです。また、彼がこの世を去ったのちテート美術館で開催された展示では、20世紀の英国で一番優れた色彩家だったという批評もあったようです。
筆者は、セドリック・モリスより、ひと世代前のフランスの画家アンリ・ルソー(彼も独学)の作風にちょっと似ているなぁと思いました。
モリスは対象そのものの捉え方がザックリしているどころか、花などの絵は妙に生き生きとしていたり、街角など風景画はしっかり描きこまれていたりと、とにかく色の並べ方が緻密だなと感じました。
大切な庭で育てたであろう花を描いたセドリック・モリスのアート傘。これを持っているときっと気分はいつでも晴れやかでしょうね。
美術検定1級アートナビゲーター持ってるスタッフより
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